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子どもが勉強しない!そのイライラ、お釈迦様が解消します

雑記

こんにちは、香華殿の村井です。

皆さん、悩みがある時は誰に相談するでしょうか?
友達だったり、パートナーだったり、Yahoo!知恵袋だったりと、相談相手は人それぞれだと思います。

誰に相談するにしても、自分一人では解決できない悩み事を聞いてくれる人がいるってありがたいですね。
また、悩みを聞いてもらえなくても、悩みの解決策や解消法を教えてもらえることはあると思います。
今回は私がお釈迦様から悩みの解消法を教えてもらったお話をします。最後までお読みいただけたら嬉しいです!

目  次

1.二人の子を持つ母(40代)の悩み

2.優しい女友達と信頼できない情報

3.どうしてお釈迦様?

4.29歳で王子をやめ35歳で悟りを開いたお釈迦様

5.心に響いたお釈迦様の教え

 

1.二人の子を持つ母(40代)の悩み

最近の私の悩みは「小学校低学年の次女が進んで勉強しないことにイライラしてしまう。」でした。

次女は学校から帰るとおやつを食べ、現代っ子(ってまだ言いますか?)らしくYouTubeを見てダラダラ過ごすか、リカちゃんなどの人形を机にずらりと並べて遊びます。

勉強の時間が来てもダラダラし続けることもしばしばです。というかほぼ毎日そのパターンです。イライラします。

そんな次女をなだめたりすかしたりしながらなんとか毎日宿題をやらせているのですが、つい、進んで勉強する長女と比べてしまいます。イライラします。

先日も勉強のことが発端となり次女にお説教をしていました。次女の態度があまりにも生意気で頭に血がのぼった私が
「その態度はなんなの!!親をなんだと思ってるの!!!!」
と言うと次女は
「生んでくれた人。」と答えました。

けっこうな勢いで怒られている時に、ひるむことなく正論を言ってきた次女。心臓が強い。

「確かにそうなんだけど・・・。」
と、返す言葉が見つからない私の怒りはクールダウンしました。

ここ最近は、そんな毎日だったわけです。

こんな風に悩みを抱えた時、いつもは女友達に相談したり本やネットで情報を集めたりするのですが、今回はコロナ禍ということで気軽に友達に会えず、趣味で読んでいた仏教に関する本やネットの中から、お釈迦様にヒントをもらうことができたのでそのことについてお話しようと思います。

「趣味で仏教に関する本を読んだりネットを見たりするってなんで?村井さん大丈夫?だいぶイライラしてるみたいだし・・・。」

と心配されそうなので、少し説明させてください。

日本の葬儀はそのほとんどが仏式で行われます。
仏教の葬儀には様々なしきたりがあって、どうしてそのようになっているのか学ぶことで、葬儀だけでなく仏教そのものにも関心が湧いてきたというわけです。

さて、冒頭で触れた悩み相談について、今までの私のパターンはだいたい次のような感じです。

優しい女友達と信頼できない情報

私が普段悩みを相談する女友達はみんな優しいです。「そうなんだよね~うちもそうなの。」とか「わかるわかる!」という風に私の話をしっかり聞いて相槌をうってくれて、共感してくれます。皆忙しいのに親身になって聞いてくれて本当にありがたいです。そして、問題が解決してもしなくても癒してもらってスッキリします。

本やネットで情報を集めて悩みを解消しようと考えることもあります。ただこれは、情報に信憑性があると思って実行に移すこともあれば、ただ読んで終わりということもあります。昔に比べて多くの情報が簡単に手に入るせいか、育児雑誌で紹介されているテクニックがことごとくうまくいかなかったせいか(育児あるある)、私はあらゆる情報に対して疑ってかかる癖がついてしまいまいました。自分で集めた情報が信頼できないせいで行動できないなんて、時間を無駄にするのもほどがあるという感じです。

どうしてお釈迦様?

ところで私には学歴コンプレックスがあるせいか、「頭の良い人の意見」「高学歴な人の意見」「地位が高い人の意見」を聞き入れやすいという特徴があります。権威主義というのでしょうか?

そんな私にとって世界的な超!有名人であり、この世の真理を知る人物であるお釈迦様というのは、その思想を素直に受け入れやすい存在だったというわけです。

この度お釈迦様の思想に触れたことで、自分の執着心に気づくことができ、次女の勉強嫌いに対してイライラする自分自身を見つめなおすきっかけになりました。

さて、さっきからお釈迦様お釈迦様って言ってるけど、お釈迦様っていったいどんな人なの?と思っている方もいると思うので、ここでとっても簡単にご紹介したいと思います。

29歳で王子をやめ35歳で悟りを開いたお釈迦様

仏教の生みの親「お釈迦様」は今から約2500年前、現在のインドとネパールの国境近くにあった小さな国の王子様として生まれました。お釈迦様は「シッダールタ」と名付けられ、フルネームは「ガウタマ・シッダールタ」といいました。

私がそれを知ったのは映画「リトル・ブッダ」を見た時です。1993年公開の映画ですから今から27年前のことですね。

その時私は「お釈迦様って本当に居たんだ!」と強い衝撃を受けました。架空の人物だと思い込んでいたからです。後にキリスト様に対しても全く同じ衝撃を受けることになります。無知なまま生きていると大人になってからも驚くことがたくさんあるものです。

王子様だった頃、お釈迦様は専用の宮殿や高級な衣服が与えられ、何不自由無い生活をしていたそうです。現代に当てはめれば、高級住宅に住んで高級ブランドの洋服やバッグを身に着ける生活といったところでしょうか。うーん、羨ましい!

贅沢な生活を羨ましがっている私と違って思慮深い性格だったお釈迦様は、そんな暮らしの中にあっても心が満たされることがなかったようです。

お釈迦様の結婚の時期は16歳とも19歳とも言われています。その若さで結婚し子どもを授かったからと言ってその思慮深い性格に変わりはなかったようです。

そしてお釈迦様は29歳の時、ついに次期国王の座も家族も捨てて修行の旅に出たのです。

地位も家族も捨てた29歳の時、お釈迦様には奥様が1人とお子さんが1人いましたし、国王であるお父様もいました。お釈迦様は次期国王でしたから、捨てた地位も半端なものではなかったでしょう。

お釈迦様は修行の旅に出てから6年後、35歳の時に悟りを開いたと言われています。

心に響いたお釈迦様の教え

ここでやっと本題です。

今回、次女が勉強をしないことにイライラしていた私の心に響いたお釈迦様の教えをご紹介します。

仏教には財産や家族など「自分のもの」を全て捨てることで心に平安が訪れるという考え方があります。
ちょっと考えてみてください。「自分のもの」を得ることで喜びが生まれる反面、「自分のもの」に対する執着も生まれませんか?

例えば子どもを自分のものだと思い「子どもが可愛い」と感じると、子どもの存在から喜びを得られる反面、子どもが今置かれている環境や子どもの将来への不安を感じることにもつながります。

まさしくこの状態が今の私です。

「子どもが将来苦労したり不幸になったりしないように、勉強はしっかりさせたい!!!!!!!!」

この気持ちが強すぎるのです。

それじゃあお釈迦様の教えを守って子どもは捨てて心の平安を手に入れようとはなりませんよね。当たり前です。

比較的現実的なのは、

「子どもが将来苦労したり不幸になったりしないように、勉強はしっかりさせたい!!!!!!!!」

この気持ちを私の中から消し去ることだと思いますが、心配性で凡人の私には難しそうです。

さっきまでお釈迦様の思想は素直に聞き入れられると言っていた気がしますが、やはり私ごときのレベルではお釈迦様レベルの対応は無理です。だって凡人なんですから。

開き直ったところで、子どもの将来を心配する気持ちをちょっとだけ捨てる、くらいのやり方を考えることにしました。だいたい↑の状態では字が大きすぎるしビックリマークも多すぎます。

「子どもが将来苦労したり不幸になったりしないように、勉強はしっかりさせたい。」

せめてこれくらいのトーンにするのが私の精一杯だと思うので、具体的に以下の方法で対処することにしました。

①子供の人生は子どものもので私のものではないということを、私自身に無理やり言い聞かせる。

②「勉強をした方が良い」と伝えることや、勉強をするための手助けはほどほどにする。

③どうしたら勉強をするモチベーションが上がるか、子どもと話し合う。

 

さっき意気揚々と「具体的には」と言ったわりに抽象的な気がします、すみません。

③はさっさと実行できることだと思うのですが、過去子育てで色々な作戦が失敗した記憶がよみがえり、踏み出すために少し勢いが必要だと感じます。

お釈迦様は
「自分のことも思い通りにならないのに、自分以外のものが思い通りになるわけがない」
ということも言っています。

言われてみれば、何を隠そう子ども時代母に「勉強は一生懸命やったならそれで良いんだよ」と言われ一切結果を求められなかった私は、「一生懸命やる」という最低限の課題もせず(早い話が全然勉強しなかった)、大人になってからも「英語を勉強してみよう!」と思っては挫折し、「WEBデザインを勉強してみよう!」と思っては挫折するという、まったく自分の思い通りになっていない存在です。

それなのに子どもが進んで勉強しないからとイライラしているなんて、かなり自分勝手です。勉強しないのは遺伝なのではないでしょうか?

書いていて本当に反省してきました。

とにかく、いくら可愛くて喜びを与えてくれる存在だからといって、子どもの将来を過剰に心配するのはやめて、かと言って全然心配しないのは無理なのでほどほどに心配しながら、楽しく穏やかな日々をめざしたいと思います。

今回の出来事で、今から2500年も前に実在したお釈迦様の思想が、2020年を生きている凡人の私の生活にも役立つ教えだということを実感しました。次回も人生に役に立つ仏教の教えについてご紹介したいと思います。